野村望東尼山荘跡碑



『野村望東尼が晩年隠棲した山荘』
望東尼は、本名を「モト」といい、文化3年(1806年)、野村望東尼は福岡藩の馬廻組であった浦野勝幸の三女として生まれた。17歳で一度嫁いだが、婚家とそりが合わなかったのか半年で離婚。24歳の時、福岡藩士野村貞貫の後妻になる。結婚から夫妻は城下の歌人・大隈言道の門下に入る。言道は橘曙覧、平賀元義と共に幕末三歌人の一人と称され、自由清新な歌風を誇った。
その革新的な歌風と人柄に惹かれ、身分を越えた幅広い層の人たちが門を叩いたといわれる。
安政6年(1859年)54歳の時夫の死に遇い、博多東町妙光寺で受戒剃髪して望東尼と号した。
福岡市中央区平尾5-2

○うき雲のかかるもよしや もののふの 大和心のかずにいりなば○

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野村望東尼山荘跡碑


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野村望東尼銅像


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胸像の裏に歌が刻んであります


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百年祭記念碑


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山荘


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前面の道路は山荘通りという名前がついています


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山荘室内


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今は山荘公園となっています






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