車の離合も困難な狭い道の拡張のために、枝一杯に蕾をつけたままで1本の桜が伐られました。翌朝暁、桜の幹に命乞いの色紙がかけられていました。 花守り 進藤市長殿 ・花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を 許し給え 伐採を請け負った業者さんは、せめて桜が散るまでと、他の桜を切るの待っていました。 そして、花を惜しむ歌や句が、 次々に檜原桜にかけれれました。 そのなかに、 ・桜花(はな)惜しむ 大和心の うるわしや とわに匂わん 花の心は の一首があって、当時の筑前の花守り、進藤一馬福岡市長の返歌と知れました。 こうして、檜原桜は『終の開花』を許されたのです。 案内板より 福岡市南区桧原1-4 |
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