志賀島万葉歌碑

9号歌碑
「沖つ鳥 鴨とふ船は 也良の崎 たみて漕ぎ来と 聞こえこぬかも」(巻16・3867)
歌意(内容説明的です)は、 《神亀(じんぎ)【724〜729】のころ太宰府から対馬に糧(かて)を送るよう命じられた宗像郡の津麿に代わった志賀の荒雄は、肥前の国の美祢良久(みねらく)[福江島三井楽]から対馬に向かって船出したが、暴風雨にあって海没した。それから八年、荒雄の妻子はなおその生還を念じてこれらの歌を作ったという。また、一説では筑前の国守山上憶良(やまのうえのおくら)の作であるとも伝えられている。
歌詞の“鴨”というのは荒雄の船の名、也良の崎は能古の島の北端で、その辺りを漕いでくる荒雄生還の吉報を期待する家人の切ない心を詠んだ歌である。》
揮亳:歌人の入江英雄
場所: 福岡市東区大字志賀島1735

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志賀島万葉歌碑9号

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