元禄時代のこと。各町には火消し衆がいて、火災が起きると各々の町を守っていました。 気性の荒いのが町火消し達のとりえ、当然いざこざも絶える事が無かった。そんなある火事で、唐人町と須崎町との間で喧嘩が始まり、須崎に数人の死者が出る大喧嘩となったそうです。 町奉行の裁きが下される事になり、唐人町から下手人を奉行所に差し出さねばならなくなりました。 この時、以前大病を患い隣人の手厚い看護のによって九死に一生を得た肥後の浪人森八兵衛という者が、成道寺のほとりに住んでいたそうです。この森八兵衛がこの話を聞き、「父母妻子のある若い命が失われるのは非常に悲しいことだ。一人身の私がこの罪を受けましょう」と世話になった恩返しにと八兵衛が自ら身代わりとして両町に願いでた。両町とも切羽詰まった状況だったことと、八兵衛の意志が強かったことなどから八兵衛に刑が執行された。町の人々はその犠牲心を尊んで八兵衛地蔵を建立し、遺徳を偲んだ。 今日では消防の守り地蔵とあがめられ、毎年八月の施餓鬼会には各町から多くの消防団が纏を持って参詣に訪れる。 福岡市中央区唐人町1-8-53(成道寺境内) |
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