『筑前国続風土記』や
『早良郡志』などに、
元亀・天正(1570−92年)の頃、一介の鍬作りの鍛冶屋
甚五兵衛が戦国の風雲に乗じて曲淵城主となり、名も
曲淵河内守と改め高祖城の原田氏に属して早良11カ村
(石釜・西・金武・四箇・次郎丸・田・野芥・七隈・荒江・鹿原(祖原))を領し 武威を誇っていた。 城跡は、神社を中心にして本丸、二の丸が設け られていたそうです。 『東西15間(およそ27m)、南北20間(およそ36m)』の広さで、 ここも典型的な戦国時代の山城です。 福岡市早良区大字曲渕827-1付近 |
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