箱崎地区元寇防塁 案内板
この箱崎地区は、薩摩国が分担して、南の千代付近からここ地蔵松原付近まで約3kmにわたって築きました。大正時代に調査されており、防塁の構造は、前面に石積みし、後面粘土で固めていたと報告されています。
1281年元は再び日本を攻めましたが、この元寇防塁や武士の元船への攻撃に阻まれ、博多の地には上陸できませんでした。(弘安の役)
現在は公園になっていて、現物は地中に埋まっていて見る事は出来ません。遊具施設の傍に石碑がぽつんと立っているだけです。
福岡市東区筥松4-1 地蔵松原公園
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