菊池神社 菊池武時(菊池氏12代当主)を祀る神社 1333年、時すでに京都では戦乱が渦巻いているころ、後醍醐天皇の命により、鎌倉幕府倒幕のために博多の鎮西探題の北条英時(赤橋英時)を攻める。 (武時はこの時には出家して、名を寂阿という) しかし、北条英時や少弐貞経、大友貞宗らの反撃を受けて、菊池武時、息子の次郎武重、頼隆、そして武重の息子共々討ち取られた。馬上の武時の首が落ちたところが六本松の首塚、胴が落ちたのが七隈の胴塚といわれるこの場所の菊池神社。