文永の役
文永11年(1274)10月、元軍は壱岐・対馬を蹂躙、余勢をかって博多湾に侵入し10月19日から20日にかけて今津〜箱崎に至る博多湾岸に上陸。密集部隊戦法と新兵器『鉄砲』を使用して我が軍を悩ましたが、我が軍も良く戦い侵攻を最小限に食い止める事が出来た。
明けて21日朝、前日まで博多湾に一杯になっていた敵船は一隻もその姿を見せなかったのであるが、これはあの神風によって覆滅したという説と、もう一つ、敵軍も損傷が酷かったので予定の退却であるという説もある。
いずれにせよ、文永の役では志賀島は主戦場とはならなかったわけであるが、21日の朝、逃げ遅れた敵船が一隻志賀島の西海岸に漂着していたので、我が軍はこれを捉えて220余人の首を切ったということである。
福岡市東区志賀島蒙古塚 |